あなたがたは聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい

静まりの時

  • テーマ:教会の交わり
  • 聖書箇所:ローマ16・3~16
  • 日付:2026年06月04日(木)

16 あなたがたは聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい。すべてのキリストの教会が、あなたがたによろしくと言っています。

聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい。当時聖徒たち、すなわち、教会の兄弟姉妹のあいさつの仕方だったようです。これを現代の日本においてそのまま実践することはできません。もし聖書通りということで実践しようとすればかなり難しい事態を招くように思います。文化が違いますので。

しかし聖書の言葉は神さまの言葉ですから、この文章にも神さまのみこころがあるはずです。それでこの文章が語ろうとしている意味を探り、その意味において実践することは可能だと思います。

この文章の意味するところは、愛情を込めた具体的な方法をもって挨拶を交わしなさい、ということだと思います。形だけのあいさつではなく、しかし形をともなうあいさつを交わす。日本に根付いている文化を考慮しながらどのようなあいさつが良いのかを考えて、あいさつを大切にする教会でありたいと思います。教会の礼拝で、プログラムとして、お互いに挨拶をする場面を設けている教会も少なからずあります。

「よろしく(宜しく)」と訳されている言葉ですが、原文では「挨拶する」という言葉です。日本語の、よろしく、は英語に訳しにくい言葉である、ということを聞いたことがありますが、あいまいであって、しかし挨拶を送る、ということにピッタリの言葉のように思います。

歓迎している、とか、愛している、大切に思っている、というような意味かも知れません。

それにしても私たち人間はなぜあいさつなどということをするのでしょう。動物たちもしているのだろうか。あいさつをするのを忘れた、ということでしばらくもじもじしてしまったり、あいさつがないやないけ、といじる人がいたり。人間だけのことなのでしょうか。

人間関係のエチケットなのだと思いますが、ことさらキリスト者はそれを大切にするということだと思います。近江商人は、お迎え三歩、見送り七歩(三歩出て迎え、七歩出て送る)と教えられたとか。

3 キリスト・イエスにある私の同労者、プリスカとアキラによろしく伝えてください。
4 二人は、私のいのちを救うために自分のいのちを危険にさらしてくれました。彼らには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。

プリスカ(プリスキラ)とアキラ(アクラ)は新約聖書においてよく名の知られたキリスト者夫妻です。プリスカが妻でアキラが夫です。

聖書は、神さまの言葉といえども時代の限界を持っています。男尊女卑の時代に書かれたという限界を考えると、ここで夫婦を現す場合に、女性である妻の名前が先に出ていることは驚くべきことです。もちろん他の個所ではアキラが先に記されているところもありますが。

使徒から教会宛に書かれた手紙が新約聖書の手紙類ですから、最初は私信的に書かれたものです。しかし、結果的に公の文章になり聖書として読まれるようになりました。夫婦を現すのに女性の名前が先に書いたパウロ、それを許容した初代教会。かなり先進的です。

おそらく教会を知らない人がみれば、チェックされる所ではないか、と思うようなことなのですが、初代教会がこれを許容したとともに、このプリスカとアキラも許容しました。現代でも公の文章で夫婦の名前が書かれる場合、圧倒的に男性である夫の名前が先にくるのではないかと思います。社会がそれを許容したとしても、夫婦の間で微妙な問題が生まれることは想像に難くありません。

しかしこの、プリスカとアキラ、という夫婦は、このように書かれても平安があったのだと思います。自分たちがこのような書き方を許容していたのです。

プリスカは、自分が先に書かれることを受け入れました。それはそう書かれて当然の働きをしているなどという自負、あるいは高慢からではありません。おそらく少なからず恥ずかしさをもったことでしょう。しかしそれを受け入れました。それが真の謙遜というものです。

そしてそれ以上にアキラは、自分が妻の後に書かれることを受け入れました。なんと心の広い夫だろうかと思います。こう書かれて素晴らしいのはプリスカ以上にアキラではないかと思います。多くの夫となった男性は、妻に対して変なプライドを持っているものですが、それが一切感じられないのです。

こんな素敵なご夫妻の食卓ならばいつでも招かれたいと私たちは思うのではないでしょうか。