それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます

静まりの時 マタイ19・21~29
日付:2024年02月20日(火)

 イエスは彼に言われた。「完全になりたいのなら、帰って、あなたの財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」青年はこのことばを聞くと、悲しみながら立ち去った。多くの財産を持っていたからである。
 そこで、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに言います。金持ちが天の御国に入るのは難しいことです。もう一度あなたがたに言います。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。」弟子たちはこれを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」イエスは彼らをじっと見つめて言われた。「それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます。」
 そのとき、ペテロはイエスに言った。「ご覧ください。私たちはすべてを捨てて、あなたに従って来ました。それで、私たちは何をいただけるでしょうか。」そこでイエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに言います。人の子がその栄光の座に着くとき、その新しい世界で、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族を治めます。また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子ども、畑を捨てた者はみな、その百倍を受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。
(21-29)

「それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます。」(26)

 私たちは、自分の持ち物、自分の為したことが、神の国、すなわち神さまの豊かなご支配の中にある平安をいただくことのできる「切符」であると思い込んでいます。
 しかしイエスさまは、自分の持ち物や自分の為したことではなく、むしろそれらを手放すことによって、神さまの御手の中に安んじて生きることが出来るのだ、といわれました。自らを誇らすもの、自らの承認欲求を満たすものを持っている限り、私たちはそれを誇りとしてしまう。自らの内にある何かをもって、神さまのお心をゲットしようとしている限り、平安な生き方は生まれない。私の内になる何かには、いつか必ず終わりが来る、失われてしまう時がやって来る。知恵や力は高齢による認知機能の低下によって失われる。自分の為したことによる世界への影響力であるならば、人びとの記憶こそ簡単に消え去る。そんなもので、神さまが私を愛しておられるのではない。神さまの愛は、そのようなことが何一つなくても、変わることがない。私たちの何かによって、神さまは私たちを愛しておられるのではないのです。
 よく子どもをほめることによって育てましょうと言われることがあります。しかしある心理学者によると、何かをなしたことをほめることによって、ほめられた子どもは、ほめた人物の支配の中に置かれてしまい、それが高じると、その後も誰かに褒められるために、誰かに承認されるためにすべてのことをなそうとするようになる、と。ほめるということは、上下関係を構築してしまう。そうして自分自身の人生を生きることが出来なくなってしまう。その心理学者は、ほめるのではなく、感謝しましょう、と語っていました。同じところに立って、ありがとう、あなたがいてくれてうれしい、しかしたとえそれが出来なくても、私のあなたに対する愛は変わらないよ、と語る、そのようなメッセージを語り続ける、それが大事だ、ということなのだと。

 私たちの何かが根拠となって神さまの愛が私に傾けられているのではない。神さまのその完全な愛、絶対的な愛によって私は愛されている、守られている。そのことが鮮明になるために、私の中の何かをすべて手放す。そこにこそ神さまの愛の豊かさを学び知る道がある。

 自分の手から離すこと。握りしめていた手を少しづつ開いて明け渡すこと。神さまの御手の中に委ねること。それが、完全になる(21)、天に宝を持つ(21)、イエスさまに従う(21)、天の御国に入る(23)、神の国に入る(24)、救われる(25)、12の座に着く(28)、12部族を治める(28)、百倍を受ける(29)、永遠のいのちを受け継ぐ(29)道を私たちに与えます。

 握りしめる生き方から、手放して神さまの御手の中に委ねる生き方。この手放し委ねる生き方が、イエスさまに従う道です。神さまの御支配の中に平安に生きる道です。

 これは人間の力では実現が不可能な生き方です。らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。
 ですからこのこと自体を神さまに委ねなければなりません。人にはできないことだからこそ、神さまに御頼りしましょう。祈りましょう。

 ペテロは、イエスさまが「人にはできないことである」と言われたにも関わらず、「私たちはすべてを捨てて、あなたに従って来ました」といい自分の為したことを神さまの前に発表しました。本当に面白い人物です。しかしこれが私たちの姿なのだと思います。
 あらためて、神さま、どうかあなたにすべてを委ねることが出来るように助けてください、あなたは何でもできるお方です、と祈りたいと思います。イエスさまは、さあ、一度何もできない自分になってごらん、何もしていない自分になってごらん、自分の中に何も誇るものがないようになってごらん、それでもわたしのあなたへの愛は変わらないことを学んでごらん、味わってごらん、と招いてくださっているのだと思います。

 電車に乗っても依然荷物を手から離さないことがあります。もう天国行きの電車に乗せてもらったのですから、荷物は手から離して荷物棚に置いておきましょう。