わたしのほかに神があるか

静まりの時 イザヤ44・6~8
日付:2023年12月23日(土)

6 イスラエルの王である主、これを贖う方、
 万軍の主はこう言われる。
 「わたしは初めであり、
 わたしは終わりである。
 わたしのほかに神はいない。
7 わたしが永遠の民を起こしたときから、
 だれが、わたしのように宣言して、
 これを告げることができたか。
 これをわたしの前で並べ立ててみよ。
 彼らに未来のこと、来たるべきことを
 告げさせてみよ。
8 おののくな。恐れるな。
 わたしが、以前からあなたに聞かせ、
 告げてきたではないか。
 あなたがたはわたしの証人。
 わたしのほかに神があるか。
 ほかに岩はない。わたしは知らない。

 神さまご自身が、わたしはまことの神である、と語られました。
 昨日郵便局に行ったとき、ひとつ隣からやや怒気を含んだ大きな声が聞こえてきました。荷物を取りに来られたようですが、本人確認の段で、どうやら身分を証明するものがないようです。ご本人は、わしや、と強く主張されるのですが、郵便局員は、お名前と住所が記されたものをご提示ください、と忍耐の限りを尽くして伝えておられました。双方一歩も引かないようすです。なかなか大変です。
 本人が本人である、と証明することはあんがい難しいことなのかもしれません。特殊詐欺、ネット上でのフェイク問題、切り張りの寄せ集めた論文、などなど、科学が進歩し、文明が進めば進むほど、本人が本人である、ということが曖昧になっていくようなことです。

 何かの重量やサイズを測るためには、正しい秤、物差しがあればよい。そのように神さまを測る正しい秤があればよい。しかし神さま以外のものには、どこか間違ったところがある。まことに正しいお方は神さまご自身だけである。だから、神さまが本当にまことの神である、ことを明らかにできるのは、神さまだけなのです。しかし果たしてこれで私たちは納得できるのか。難しい問題です。

 しかしこれを、信じた人たちがいます。神さまが、私は神である、という神さまからの語りかけを、そのまま素直に信じた人たちがいるのです。説明や証明ではなく、ただ信じた、愛した人たち。マリア、ヨセフ、ザカリヤ、エリサベツ、シメオン、アンナ、羊飼いたち、東方の博士たち、弟子たち、そして教会に生きるすべての人びと・・・がいます。

「わたしが永遠の民を起こしたときから」(7)

 この聖句は他の訳では以下のように訳されています。

「わたしがとこしえの民としるしを定めた日から」(新共同訳)

 永遠の民を起こす、ということばが、とこしえの民としるしを定めた、と訳されています。
 神さまが民を起こされた、そのこと自身が、しるし、であった、と書かれています。
 しるし、とは、証拠としての奇跡です。サイン、標識のように何かを指し示すものです。神さまが神さまである、ということを指し示すものは、この、イスラエルの民を神さまの民と定めたこと、それ自体がしるしである、と語られているようです。

 神さまの選び。選ばれる民の貧しさや弱さに関わらず、ただ神さまがお選びになられた、ということ自体が、神さまがまことの神であることの証拠である、ということ。

 私が救われた、神さまを信じる者とされた、ということ自体が、この神さまがまことの神さまであるあることのしるしである。選ばれる理由が何一つないにもかかわらず、あるいは、人間的な見方をすれば決して選ばれることはないであろう私を、それでも選ばれた、という事実そのものが、神さまの奇跡のしるしである。それこそ、まことの神さま以外には決してできないことである、と。

「兄弟たち、自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。」(第一コリント1・26~28)

 そしてそのために、神さまご自身が、いと小さく弱くなり、もっとも低いところに立ってくださった。それ自体が、このお方こそまことの神であることのしるしなのです。私たちは、クリスマスに、この神さまこそまことの神さまであることを知り学び、そしてこの神さまをあがめ愛します。

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」(ルカ2・11,12)

「みくらを去りて 御殿(みとの)を離れ 神の勇士(ますらお) 道に出で立つ」(新聖歌66、2)

 昨日は、牧師館の玄関前に置いていた めだか の鉢に氷が張っていました。めだかは生き延びていたようで、昼頃には妻によって救出されました。

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