義と公正を行うことは、

静まりの時 箴言21・1~7
日付:2023年06月16日(金)

1 王の心は、主の手の中にあって水の流れのよう。
   主はみこころのままに、その向きを変えられる。
2 人には自分の歩みがみなまっすぐに見える。
   しかし、主は人の心を評価される。
3 義と公正を行うことは、
   主の前で、いけにえより望ましい。
4 高ぶる目とおごる心。
   悪しき者のともしびは罪。
5 勤勉な人の計画は利益をもたらし、
   すべて慌てる者は損失を招くだけだ。
6 偽りの舌をもって財宝を得る者は、
   吹き払われるもやのよう。死を追い求める者だ。
7 悪しき者たちは自らの暴力に引きずられる。
   公正を行おうとしないからだ。
(箴言21・1~7)

 義と公正を行うことは、どんなに大きな犠牲を捧げるよりも望ましいことである、主が喜んでくださることである、と聖書は語ります。しかし何が義であるのか。何が公正であるのか。それを人間は知っているのか。
 「人には自分の歩みがみなまっすぐに見える」のです。しかし主は人の心を調べられます。評価されます。人間が罪びとである限り、そこによこしまなものがないとはいえません。
 主の喜ばれることを追い求めたいと思います。それは、高ぶる目とおごる心を捨て、慌ててことを行わず勤勉に、偽りをのぞき去り、自らのうちにある暴力的なものを排除していくこと。主の喜ばれる道は、そのような信仰の歩みによって築かれるのだと思います。