日付:2023年03月06日(月)
静まりの時 ルカ13・6〜9
園丁は答えた。
『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』
(ルカ13・8,9)
このたとえの前には、悔い改めなければ滅びる、と語られています。その文脈でこのたとえを理解すると、実を結ばなければ、すなわち悔い改めなければ滅びること、しかし神さまは人間が悔い改めることをどこまでも期待して待っていてくださること。そんなことが書かれているように思います。
「木の周りを掘って、肥やしをやってみます」。私たちが悔い改めることができるように、神さまは最大限のことをしてくださいます。
しかし悔い改めるのを代わりにやってくださることはありません。悔い改めは、自分以外はできないからです。誰かが代わりにやってもそれは悔い改めではありません。
ある人が、まっとうな宗教とカルトとの違いとして、まっとうな宗教は「感化」によって人が導かれる。しかしカルトは不安や恐怖で人をコントロールする、みたいなことを本に書いていたと聞きました。なるほど、と思いました。
イエスさまに出会い、十字架の愛に出会い、そうして人間は、悔い改めに導かれるのです。