静まりの時 エズラ1・1~4
日付:2023年02月04日(土)
ペルシアの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた主のことばが成就するために、主はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。・・・
「ペルシアの王キュロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私にお与えくださった。この方が、ユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てるよう私を任命された。・・・
(エズラ1・1~)
エレミヤによって預言された70年(エレミヤ29章)が満ち祖国に帰還する時がやって来ました。いよいよ神さまのみことばが成就します。神さまはご自身のみことばを成就させるために、ペルシアの王キュロスをお用いになります。キュロス王は、自らが「天の神、主」から、エルサレムにイスラエルの神殿建設をするように任命されたと語ります。
異教の王が、聖書の神さまに召され、神さまのみこころを成すのです。そのことを王自身が自覚しています。私たちが信じている神さまは、そのように、異教の王さえもお用いになるお方です。
教会の働きは、イエスさまへの信仰に生きる者たちによってなされます。たとえば礼拝の司会などは、話すのが上手か下手か、という基準ではなく、信仰者によってなされるものでしょう。礼拝が信仰の業であるかぎり、信仰を持つ者が担うことはふさわしいことだと思います。また責任上の問題もあるでしょう。司会者台から語られる言葉は、教会を代表する言葉でもありますから、受洗者、さらには役員、役員経験者がふさわしいと思います。礼拝は式なのですから、司式を執り行うということで、牧師や伝道者がする教会も多くあります。
しかし未受洗者も担えるところがあります。奏楽も信仰者が担うことがふさわしいと思いますが、奏楽ができるかどうかは、やはり少し特殊性があります。教会によっては、まだ受洗はしていないけれども、奏楽の奉仕を担っている、というところがあります。私の学んだ神学校では、毎週行われる神学生のための小さな礼拝時には、どこかからオルガニストが来て下さっていました。たしか未受洗の方だったと記憶しています。私たちの教会のオルガンもそうですが、神学校の礼拝堂に置かれていたオルガンは何やらいっぱいスイッチがついていて、誰でも弾けるという感じではなかったようです。
会堂を建設してくださった工務店さんは信仰者ではなかったでしょう。おられたかもしませんが・・・。会堂に電気やガス、水道を供給しているところも、冬には灯油を運んでくださるガソリンスタンドのお兄さんも、その他さまざまに礼拝を守るために労してくださる方の多くは、信仰とは無関係の方々です。しかしこのキュロス王のことを思うと、そのような方々も、キュロス王のような自覚はないかもしれませんが、神さまに用いられておられる方々ではないかと思います。きっと祝福があるのです。また私たちはそういう関係者の祝福を祈ることがよいことだと思います。
前任の教会で駐車場を購入しアスファルトで整備するために、町の工事業者にお願いしたことがありました。教会のある地域は比叡山のおひざ元で、天台宗のお寺さんと深く関わっている業者の多いところでした。その工事業者も、延暦寺と深く関わっているとのことで、毎年お寺に寄進していることをお話ししておられたのですが、今回キリスト教会の工事に関わることができると、喜んでくださいました。教会のみんなも喜びました。
私たちの礼拝生活が守られるために、いかに多くの未受洗者、未信者が奉仕していてくださるのかを忘れてはならないと思います。神さまはそのようにすべての人をその御手の中に置いていてくださるのです。
今日は備えの日。明日は礼拝の日です。良い備えの一日を送り明日の礼拝に備えたいと思います。