静まりの時 2022年12月16日(金)
ルカ2・25~35
「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、
しもべを安らかに去らせてくださいます。」
(ルカ2・29)
シメオンは幼な子を見つけると、腕に抱き、神さまをほめたたえて歌いました。
「ヌンク・ディミティス」、シメオンの賛歌の冒頭の部分です。「ベネディクトゥス」~ザカリアの賛歌、「マニフィカト(マグニフィカト)」~マリアの賛歌、グローリア、そしてこのシメオンの賛歌。シメオンの賛歌は大みそかに歌われたりもするそうです。
母マリアのきよめのために神殿を訪ねたマリア、ヨセフ、そして幼な子イエスさま。彼らを真っ先に見つけ、祝福の歌を歌ったのが、このシメオンでした。本来ならば祭司やそれに準ずる人たちがなすべきことでしょう。しかしこのシメオンが、救い主の祝福を祈ったのです。
マリアたちは驚きました(33節)。だいたいイエスさまが一緒だといつも驚かせられることばかりなので、いいかげん驚くことにも慣れそうなものですが、イエスさまが一緒にいて生まれる驚きはつねに新鮮だったのだと思います。
シメオンはさらに両親を祝福します。そして語られた言葉は、両親にとっては祝福というよりも、少し恐ろしいような言葉でした(34,35節)。救い主がまことの審き主であることが語られます。
シメオンの賛歌は、これで死んでもいい、というようなことばですね。シメオンはこの時を待ち望んでいました(25節)。とうとうその時がやって来たので、おもわずこのような言葉を語ったのです。
シメオンが待ち望んでいたのは「あなた(神さま)の御救い」(30)です。それをこの幼な子イエスに発見したのです。地方からやって来たそれほど裕福に見えない幼な子を抱いている夫婦に発見したのです。世界はそれを見出すことが出来ません。神殿を行き交う人たちの目には見えていなかったのです。祭司たち宗教家にも見えていません。しかしシメオンには見えていました。シメオンは待ち望む人だったからです。そしてそのようなシメオンを「聖霊が彼の上におられた」と聖書は語ります。
クリスマスは、このような幼な子の姿に神の御救いを発見するときです。信仰に生きる者は、このような幼な子の中に神の御救いを見出すことができるように招かれています。そのために待ち望む生活をします。
この世は、大きなもの、きらびやかなもの、力に満ちているものに、あこがれ、そこに救いを見出そうとします。そのような生き方は、待ち望む生き方を形づくりません。ことを性急に進めようとしたり、まわりを自分の好みのようにコントロールしようとしたりします。それは一時的な何かを生み出すことがあるかもしれません。しかし人間の力によるものは、やがて力と力がぶつかり、破壊される方向に向かうのではないでしょうか。
クリスマスを待ち望む私たちは、幼な子の中に、神の御救いを見出すのです。誰もがそこに見出すことが出来ないような、たいそう小さく、弱く、足りないものの中に、神さまの御救いを発見するのです。キリスト者とは、そのように小さなものに神の救いを発見する者たちなのです。