静まりの時 2022年12月15日(木)
エレミヤ19・10~15
「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。見よ。わたしはこの都とすべての町に、わたしが告げたすべてのわざわいをもたらす。彼らがうなじを固くする者となって、わたしのことばに聞き従おうとしなかったからである。」
(エレミヤ19・15)
預言者エレミヤは、神さまから託された言葉を、イスラエルの民に向かって語ります。その言葉は審きの言葉でした。その言葉を語る際、人びとの目の前で瓶を砕いて、こんなふうになるぞ、と語るようにと神さまから命じられました。ちょっと脅しのような感じもしますが、言葉だけではなくいわゆる視覚支援も加えながら民に審きのメッセージを伝えたということでしょう。
イスラエルは自らに語られる審きの言葉を聞かなければなりませんでした。それはそのように語られなければならなかった理由がイスラエルにあったからです。イスラエルには神さまに対する罪がありました。その罪は解決されなければなりません。そのために審きの言葉が語られたのです。
語られなければならない理由がイスラエルの側にあったのですが、同時に神さまにも語らなければならない理由がありました。それはイスラエルへの愛です。
そしてエレミヤには神さまからの審きの言葉を伝えなければならない使命がありました。それはエレミヤが預言者だったからです。
イスラエルの罪とは一体なんであったのか。聖書は「彼らがうなじを固くする者となって、わたしのことばに聞き従おうとしなかったからである」とあります。倫理道徳的な罪もあったと想像できますが、それよりも聖書が語るのは、神さまのお言葉に従おうとしないかたくなさ、です。ここにうなじを固くする、という言葉がありますが、このように歩みなさい、と馬の鼻面を向けるように神さまが導いてくださるにもかかわらず、うなじ(首)を固くし、自分の思い通りの道に進もうとするかたくなさです。神さまの言葉に従う柔らかさがなくなってしまっている、ということです。それがイスラエルに審きをもたらすのです。
イエスさまを信じる信仰に生きる、ということは、このかたくなさを捨てて、神さまのお心に従う柔らかさをいただく、その柔らかさに生きる、ということです。
柔和な者は幸いです。
その人たちは地を受け継ぐからです。
(マタイ5・5)
柔和な者は、地を受け継ぐ、とイエスさまは言われました。地を受け継ぐ。すなわち、この地にあって豊かに安心して生きることが出来る、そのために必要なことは柔和さである、と言われたのです。
どちらかというと、意志を強く、何にも屈しない精神力や体力、そのような力強さによってこの地を受け継ぐのだ、と語られることが多いのではないか、と思います。歴史を見ても、人類はひたすら強さを求めてきました。強い国、民族が地を受け継いできたのではないか、とも思います。
しかしイエスさまは、全くその逆を語られたのです。柔和な者、柔らかい者がこの地を受け継ぐのだよ、と。ちょっと言葉は悪いのですが、優柔不断で、のらりくらりと生きている人は、案外長生きですよね。もちろん長生き自体がどうのこうのということではないかもしれませんが・・・。
柔らかいといっても、ここでは神さまのお心に対していつも柔らかい、ということですから、単に優柔不断で良いと言っているわけではありません。神さまはどのようなお心をお持ちだろうかと、心を開いておくことが大切なことなのです。そのような神さまに対する柔らかさが、今日も喜びと感謝をもって生きる道を、この世にあって築いていくのです。