その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります

静まりの時 2022年3月3日(木)
マルコ4・30~349

「またイエスは言われた。『神の国はどのようにたとえたらよいでしょうか。どんなたとえで説明できるでしょうか。それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときは、地の上のどんな種よりも小さいのですが、蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張って、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。』」

(マルコ4・30~32、新改訳2017)

 からし種。からしを漢字変換すると「辛子」も出てきますが、広辞苑によると「芥子」と書きます。「芥」は「あくた」とも読み、芥川龍之介の苗字の漢字と同じです。また「けし」も漢字変換すると「芥子」が出てきます。いずれも小さいごみのような、つまらないもの、という意味とのこと。しかしその小さいごみのようなつまらないものが、蒔かれると生長して他のどんな野菜よりも大きくなる。ただ大きくなるだけではなく、大きな枝を張って、その枝の陰に空の鳥が巣を作れるほどになる。神の国とはそのようなものだ、とイエスさまは言われました。
 神さまのご支配の中に生きるということは、この世から見て取るに足りないような小さな存在が、しかしいったんそのいのちが動き出すと生長していき、やがて他の存在を養い憩わせるようなものとなる、と。
 これも「神の国」を死後の世界、来世の天国と理解するとよく分からないのですが、神の国は、神さまのご支配ということなので、来世のことと言うよりも、いまイエスさまを信じて生きる者の生き方、イエスさまの御手のご支配の中に生きる者の生きざまを描いているのだと思います。
 イエスさまを信じて生きる者は、この世からどんなに小さな取るに足りない、塵芥(ちりあくた)、のようなものに見えても、そこには永遠のいのち、尽きることのないいのちを秘めているので、必ず他者を生かす存在となる、それがキリストの弟子としての生き方だ、というのです。
 イエスさまを信じれば永遠のいのちをいただくという時、その永遠は死後の時間的な永遠ということと共に、今こうして生きているいのちが「尽きない」ということ。この二つの意味があると思います。使命に生きるといいますが、その漢字のようにいのちを使うと、たいていそのいのちが枯渇します。誰かのために愛を働かせると疲れたり、時にがっかりしたりという経験も起こる。しかし主イエスさまの愛によって生きるいのちは、けっして尽きることなく、むしろ汲めども尽きない泉のように、いのちが溢れてくるのだ、ということでしょう。
 私たちが生長して張りだした枝によって誰かが憩う、それはたった一人の家族のためでもよいのです。そんな天国のような人生に、私たちは招かれています。

 昨日は、団体墓地の管理担当の先生がお見えになり、団体墓地にある遺骨の確認をしました。なつかしい方々の名前を見つけては、天国への希望をあらたにしました。
 今日はひな祭り。昨日妻の買い物に付き合って近くのスーパーに行くとひなあられや三色だんごが並んでいました。買うに至りませんでしたが、少しづつ春の風が吹き始めています。体調が良いので調子に乗って室内自転車をいつもよりたくさん漕いでしまいました。おかげで今朝は少し疲れています。なにをやっているんだか・・・。