静まりの時 2022年2月2日(水)
申命記5・16~22
「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じたとおりに。それは、あなたの日々が長く続くようにするため、また、あなたの神、主があなたに与えようとしているその土地で幸せになるためである。・・・」
(申命記5・16、新改訳2017)
十戒の安息日の戒めに続いて隣人を愛する道が語られます。その最初に記されているのが、父と母を敬うこと。そうすれば長寿が約束され、この地にあって幸せに生きることができる、と語られます。
隣人を愛するためのルールを私たちが記すとすると、最初に何をもってくるでしょうか。私だったら殺人罪かな、と思ったりします。日本の刑法の場合、罪の規定がされている第2編73条以降で、現在は削除されていますが最初に来るのが大逆罪だったようです。現在は罪の最初には内乱の罪が記されています。教育勅語では、その12の徳目の最初に「汝臣民は、父母に孝行をつくし・・・」とあり、この十戒と同じように、父と母を敬うことが記されています。
父と母を敬うならば、自動的に長寿となり地にあって幸せに生きる、と解釈もできると思いますが、ここには深い意味があるようにも思えてきます。
幸福に生きるために人間関係は大切です。生まれて最初の人間関係は、まずは自分自身ではありますが、同時進行として「母」そして「父」、あるいは家族でしょう。そこが難しくなると、やはり人生の幸福も難しくなると考えることができるでしょう。
また自分自身の存在の土台となるのは、父と母であると思います。父と母が睦まじく、互いに愛し合い尊敬し合う姿は、自分の存在の根底に愛があることを確認し安心して人生を生きる心を育むことでしょう。親は子育てにおいて子どもとの関係を考える前に、配偶者との関係を大切に考えなければならない理由はここにあります。夫婦はもともとは他人なので、そこが睦まじくあるためには努力が必要です。一方親子は血のつながりがあるので、どうしても引き合ってしまいます。良いことでもありますが、引き合うことが健やかに生きる道を難しくすることもあるでしょう。子どもはいつの日か自立する定めなので、そこはできるだけ引き離す努力が必要かなと思います。
父と母を敬うことによって、自分のいのちの土台に愛があることを確認し幸せに生きることができる、ということですが、しかし、そう言われても尊敬できる親ばかりではないのも現実でしょう。自分のことを棚に上げてではありますが・・・。それをどうやって敬うのか。悩ましい問題です。
ただ生まれてきたということ。そして人間は他の動物と決定的に違い、生まれてから「育てていただく」ということがどうしても必要なこと、を思うと、そこに関わってくれた人びとへの感謝を持つことは可能ではないかと思います。
それでも、そういう感謝すべき人びとを想像することができない、という苛酷な人生を歩むことになった方々も多いでしょう。本当に難しいことですね。
さまざまな事情の中で生まれてきた、そして今こうして生きている、ということ。そのこと自体の中に目には見えない神さまのあわれみと愛があるのです。結局のところ、この「父と母を敬いなさい」は、まことの父である神さまとの出会いを通してこそ、守ることのできる戒めなのかもしれません。
昨日は、月に一度の牧羊会(牧師会)が、オンラインにて行われました。1月はありませんでしたので今年最初の牧羊会です。牧羊会ではまず礼拝があります。説教は順番ですが、昨日は長浜教会の先生からの心温まる説教があり大いに励まされました。また香港からの宣教師ご夫妻の証しがありました。宣教師への道、コロナ禍で面会できない中、召された両親の信仰などなど。主の御名をあがめました。会議では各種報告があり、また昨日は団体総会のための準備も行いました。おもに総会資料の原稿の分担と内容の確認などなど。団体の組織改革で、少し作業が煩雑なのですが、例年通りに進んでいきます。
昨夜は撮りためたビデオの中から原田マハ原作のNHKドラマ『旅屋おかえり』を観ていたのですが、この原田マハの本は面白いですね。。