私たちもゆっくりと

静まりの時 2021年9月20日(月)

トウモロコシが成長するように、私たちもゆっくりと葉から穂へと、また穂から実へと成長します。

C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、371頁f

今日は、昨日のものと同じ聖句でした。スポルジョンは人生の光の時期と暗やみの時期の境、そしてこの世からかの世に移るときの境について「まるでイングランドからスコットランドに行くようにしか感じないのです」といいます。神さまがともにいてくださるということはそういうことである、というのです。ですから死をいたずらに恐れる必要はないと、当時の会衆に語っているのだと思います。
その中で、人生の成長をトウモロコシの成長になぞらえて、ゆっくりと成長するのだ、と語っています。きょうはこの「ゆっくり」という言葉に心が留まりました。

毎朝起きてすぐに体重、そして朝と夜に血圧を測ります。この血圧を測る時に、自動的に心拍数も表示されます。一般的には60~90ということですが、退院後の計測では高くて60、ほとんどは50前後、今朝も40代後半でした。かなり低く、徐脈という範疇だと思うので、退院後1回目の受診時に主治医に聞くと、薬でそのように抑えているのです、との答え。そして、心拍数が低い方が心臓には負担が少ないのですよ、カメは心拍数が低いので長生きでしょう、と。これで一安心です。
玉村豊男が『病気自慢』という本の中で、病気になると数値に一喜一憂するので、あまり数値は気にしないように、と医者から言われ、結果、絵を描き出したということを書いていました。
さて、それで心拍数が「ゆっくり」で、心臓への負担が少なく長生きということですから、人生も、信仰の成長もゆっくりが大切である、あるいはゆっくりというところに意味がある、ということでしょうか。

はやく、ということを大切に考えなければならないときもあるでしょう。しかし、そうでもない時もあります。
大きな駐車場を備えたショッピングセンターに行ったとき、できるだけ入り口に近いところに駐車しようとしたものですが、あるときから時間の余裕のある時は、少し遠くにとめて、その分歩くことを大切に考えるようになりました。病院にお見舞いに行った時も、エレベーターではなく階段を使うことを考えます。銀行や郵便局に行くときも、以前なら自動車が当たり前でしたが、自転車や時には徒歩で行くことにしています。本部での会議の時も、よく自転車で行きました。途中で教会の方とすれ違うこともあったり、「はやく」ではなく「ゆっくり」を許容すると、楽しい副産物も生まれます。病気になって、少しそのへんは慎重に考えなければならないのですが、成果と効率を考えると、どうしても「ゆっくり」が許容できなくなり、大切なものを見逃してしまうのかもしれません。病気になったからこそ、さらに「ゆっくり」を大切にしたいな、と思いました。

「わたしたちは、心強い。そして、体を離れて、主のもとに住むことをむしろ望んでいます。」(2コリント5・8)

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