静まりの時 2021年9月16日(木)
いずれだれもが死を迎えることになります。しかし、この地上が最期を迎えると、主ご自身が来られ、私たちは主とともにいることになります。
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死や地獄でさえも変えることのできない永遠の神の聖定によって、私たちは御国の相続人と定められているのです。C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、365頁f
主が私とともにいてくださる、という奇蹟を聖書は語ります。それはまた私が主と共にいる、私たちが主と共にいる、ということでもあります。
私というものがまずいて、そこに主がやってきてくださった、ということと同時に、主がまずご存在下さって、そこに私が進み行くということ。私たちは、神さまがともにいてくださる、という喜びを語る時、いったいどちらをイメージしているでしょうか。
クリスマスにおいて語られたことは、暗闇にしか生きることができなかった私とのところに、一方的な恵みをもってやってきてくださった神さまのお姿です。
それに対して終末において語られる主のお姿は、もちろん再びやってきてくださる、ということではありますが、そこでは、私たちの方が集められる、私たちの方が引き上げられる、ということが明らかにされるような主のお姿ではないでしょうか。
クリスマスの恵み、すなわち降臨の恵みによって救われた者は、この再臨の恵みに向かって生かされる者となったのです。自分のようなもののところへ神さまは来てくださったという喜びを確かにしつつ、自分自身が神さまのところへ行く。神さまを礼拝するために神さまに向かって行く、という再臨への備え。それが信仰生活なのだと思います。御国の相続人としていただいたことを感謝します。
今日は退院後2回目の診察日です。採血、胸部レントゲン、心電図、そして主治医の診察とお話しの予定です。発症から8週間が経ち、壊死によって脆くなった心臓の筋肉もそろそろ固まりつつある時期だと思います。完全には3か月から6か月ということですが、リハビリの先生から聞いたのは、とにかく6週間は激しい運動は避けてください、ということでしたので、また一歩前進の時期ではないかと思っています。ここまで生かされたこと、感謝です。壊死した心筋の破片が血液に混入し、それが血栓を生むということも聞かされていました。血栓が全身のどこかに飛んで、血管を塞ぐと、さらなる障害を起こすことになります。脳に飛ぶということもないわけではないようです。相変わらず胸には軽い圧迫感がありますし、階段を駆け上がることはできませんが、気持ちをしっかりと持って前進していきたいと思います。
昨日は、母を買い物に連れて行く妻の付き添いで久しぶりに守山までドライブしました。道中、そばの花が美しく咲いていました。夕食に「サバのソテー ねぎソースかけ」を製作しました。家人に好評でした。女子栄養大学出版部発行の『塩分1日6g わがまま男をうならせる うまい 減塩めし』からのレシピでした。こんな本があるのですね。付け合わせの「焼いたトマト」もおいしいものでした。
「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。」(2コリント4・17)