静まりの時 2021年9月3日(金)
神の約束というダイヤモンドは、個人個人の試練の中に置かれるとき、鮮やかに輝き出します。
・・・聖霊が私たちの心を魂、そして体を聖なるものとするように、私たちはますます主に似た者となります。聖性と霊性において主と同じようになるだけでなく、戦い、悲しみ、怒り、勝利の経験においても主と同じようにされるのです。
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もし勝利を望むのであれば、霊的に戦わなければなりません。C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、347頁f
新改訳で「勝利者」と訳されている言葉は、新共同訳では「勝利を収めている」と訳されています。勝つか負けるかわからないということではなく、すでに勝利を収めている、輝く表彰台に立っているというのです。その根拠は、主イエスさまの私たちに対する愛ある、というのです。今日も私たちはこの愛によって一日を生きるようにと招かれています。
昨日は、入退院ですっかりご無沙汰になった母に、その買い物の手伝いがてら会いに行きました。ほぼ2か月ぶりになりました。私よりも元気な様子で、良かったと思います。
しかしそれで往復50キロほどを運転することになり、少し疲れた感じがしました。自動車の揺れというのはあんがい身体に影響するのかもしれません。今朝は元気に朝を迎えましたが。少しずつ前進ですね。
それにしてもずいぶん涼しくなりました。涼しくなると睡眠もぐっすりという感じです。あの猛暑の中、入院生活を送れたのは本当に感謝なことだったのだと思います。退院してからもあんがい涼しい日が続き、あつくなったのは八月後半の10日間ぐらいだったでしょうか。振り返ると感謝なことはいくつも数えることができますね。
「しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。」(ローマ8・37)