主にある霊的な親族

静まりの時 2021年8月21日(土)

あなたは主にある霊的な親族を見いだすことができ、真実の意味で祝福されることでしょう。

C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、329頁f

私たちがイエスさまのところに行く、ということと、イエスさまが私たちのところに来てくださる、ということ。聖書はこの二つの真理を私たちに語っているのだと思います。不思議なことですが、ここに真理があるのだと思います。
この二つのことは、いまだイエスさまはともにいてくださらない、やがてともにいてくださるのだ、ということを、語っているように思えますが、そうではなく、この二つのことの中にこそ、イエスさまが今ともにいてくださる、いつまでもともにいてくださるということの真実が語られているのだと思います。
たとえば、私たちが誰かとともにいるという時に、物理的にともにいるということが必ずしも安心感や喜びを確かにするばかりではありません。聖餐において、主のお身体と血が、私たちを生かすということは、ともにいるということの深まりそのものです。聖餐によって「あなたがたのところに戻って来ます」というお言葉によって、確かなものとされているのです。

今朝は血圧が100を超えていて、ずいぶん気分のいい朝を迎えました。緊急入院時から80前後の時期を過ごしたのですが、さらに、それに加えて薬で血圧を抑えていますので、病状が安定した後も、100を切る日が多いのです。主治医からは心臓に負担をかけないために100を切るのは良い数字だということでした。しかし100を切るとちょっとしんどいのです。

今日は備えの日。明日の主の日にむかいます。よい備えの一日でありますように。

「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。」(ヨハネ14・18)