父なる神の倉として天の国のことを考えると、私の心は喜びに満たされ、心は踊り出します。
C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、275頁ff
2021年7月14日(水)
彼岸である天の御国が此岸に突入している、それがキリスト教信仰です。ですから信仰生活は、はるか先の天国を信じて「今の時」を耐え忍ぶ、ということであるとともに、その「今の時」が天国への希望に支えられていることを信じて、喜びと感謝に生きるということでもあります。忍耐と喜びが一つになっているということでしょう。
「刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、『まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい』と、刈り取る者に言いつけよう。」(マタイ13・30)