主なる神がこれまで導いてくださった道筋を振り返るとき、命の始まりについて神をほめたたえ、そして、人生の中間において起こったさまざまなことも賛美することができるはずです。そして命の最期のときに起こることについても、心から賛美できると、私は信じています。それらすべてのことを通して、私たちは地上的なことにおいても、また霊的なことにおいても王宮(神)から必要なものはすべて支給され、満たされ、恩恵を受けているのです。
C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、64頁ff
2021年2月10日(水)
自分が誰によって生かされているのか。誰のお世話になっているのか。ということが見えない、というのが人間の罪の問題です。罪というのは、自らが神さまに生かされているにもかかわらず、その神さまを無視し、すべては自分の力、知恵によって、自らが生かされていると思っていることです。そう思っている限り、自らの誕生から人生、そして死に至るまでのなかに感謝を見いだすことが難しいでしょう。そして隣人と共に生きることも難しくなってしまうでしょう。
この罪、自己中心、から解放されること。それは神さまの御手の中に替えることによってのみ可能となるのです。
「王室から俸給をいただく臣下として、王に対する非礼は見過ごすわけにはいかないので、事情をお知らせいたします。」(エズラ4・14)