将(まさ)に今来たらんとするものを待つ望みのこころ

キリスト者の哲学者波多野精一の存在は忘れられてはならない。太平洋戦争が敗戦で終わった頃、荒涼たる神田の焼け跡に残った出版社の前に若者たちが行列をして買い求めたものに、その著書『時と永遠』がある。そこで私が学んだひとつのことは、神を信じる者は、「未来」とは言わないということであった。いまだ来たらざる未知のものの到来を不安をもって待つというようなことではなく、将(まさ)に今来たらんとするものを待つ望みのこころを語るべきだというのである。その意味で信じる者には未来はなく、将来しかない!

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、385頁

2020年12月30日(水)

終末に向かう私たちは、その終末の時にゆるぎない希望をおいています。

私たちはまさに今来たらんとするものを待つ望みのこころに生き、語ります。

「マラナ・タ(主よ、来てください)。」(第一コリント16・22)