聖書の豊かな宝のほんの一部を語るだけ

私たちは、聖書の話をするだけです。聖書を語っていたら、何を語ってよいか迷うことはありません。一生語り続けて、いったい聖書の何分の一を語ることになるのかと思います。聖書の豊かな宝のほんの一部を語るだけです。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、353頁

2020年11月30日(月)

重箱の隅をつつくようなことでなく、また何物をあたかもあるかのごとくに見せることでもなく、溢れるばかりの豊かな泉から、そのほんの一部を味わうように、聖書の恵みを味わい語るのです。それが説教であり聖書研究である、というのです。

「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。」(ヨハネ21・25)