神を求めるとは神を呼ぶこと

私は求道とは神を求めること、神を求めるとは神を呼ぶことと言い、信仰を求める人びとにまず祈りを求めた。それに応えて遂に「神さま!」と呼べるようになったと涙ながらに報告してくれた女性がいた。それを聴きながら、私は恥じた。特別な思いもなく、もっと複雑な言葉で神の名を呼んでいる牧師であることを。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、334頁

2020年11月11日(水)

信仰を持つことは、神さまに向かって祈る者になるということであり、神さまに向かって「父よ」と呼びかける者になる、ということです。言葉自体は単純でも複雑でもよいのだと思いますが、呼びかける心の深さ、が問われているのだと思います。ときに複雑さが、呼びかける心の深さから視点をそらせているということがあるかもしれません。単純に、しかし深く「主よ」と呼び掛ける者になる、そんな信仰生活が必要なのだと思います。

「それから、わたしを呼ぶがよい。苦難の日、わたしはお前を救おう。そのことによって お前はわたしの栄光を輝かすであろう。」(詩編50・15)