主題は主の渇きではなく、女の渇きに移っている。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、328頁
2020年11月5日(木)
主イエスさまが肉体の渇きを覚えておられます。それに応えるように召されたサマリアの女は、その主との対話の中で自らの渇きを訴えるようになりました。主の渇きに導かれてサマリアの女の渇きが訴えられています。主の渇きとサマリアの女の渇きの出会い。そこに祈りが生まれています。
「サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、『水を飲ませてください』と言われた。」(ヨハネ4・7)
「女は言った。『主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。』」(ヨハネ4・15)