私たちは、主の呼び声に応えて振り向けばよいのである。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、283頁
2020年9月24日(木)
ヨハネの福音書に記されている復活の朝の、マリアとイエスさまとの出会いの場面。「振り向いて」の言葉を、身体の方向を想像して理解しようとすると、不思議な感じがします。「園丁」だと思い込んでいるイエスさまに向かってマリアは話しかけています。そのイエスさまの「マリア」との呼びかけに彼女は振り向くのです。そうすると体の向きとしては、イエスさまに背を向けたことになると思うのです。
ですからこの「振り向いて」は、身体の向きというよりも、もっと大きな意味を含んでいることを思います。心の向き、人生の向き、などなど。
教会に来て神さまを信じるということは、この「振り向いて」がどうしても必要なのです。私たちは振り向いているでしょうか。方向変換をしているでしょうか。
「イエスは言われた。『婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。』マリアは、園丁だと思って言った。『あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。』イエスが、『マリア』と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、『ラボニ』と言った。『先生』という意味である。」(ヨハネ20・15,16)