愛することに貧しいだけでなく、愛されることにも鈍い。それは私たちの悲惨を招く罪である。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、258頁
2020年8月31日(月)
パウロはテサロニケの信徒に向かって、権威を主張して指導することもできたのですが、そうはしなかったと言います。逆に幼子のようになった、と。指導者と信徒の関係は、権威を振りかざして成り立たせるものではなく、愛によってこそ成り立つものである、ということでしょう。愛する者と、愛される者。愛することにおいて豊かにならなければなりません。同時に愛されることを健やかに受け入れることも大切なことです。
「わたしたちは、キリストの使徒として権威を主張することができたのです。しかし、あなたがたの間で幼子のようになりました。ちょうど母親がその子供を大事に育てるように、わたしたちはあなたがたをいとおしく思っていたので、神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです。あなたがたはわたしたちにとって愛する者となったからです。」(1テサロニケ2・7,8)