十字架を眼前に控えて、ご自身の将来の姿を描き出しておられる。間もなく目に見える姿を消されるご自身が再び地上を訪れられる日、あの降誕祭の時に賛歌を歌った天使の大群を率いて来られる。十字架の主の支配に応えて生きた者たちとまず語り合うためである。愛の対話をするためである。それが歴史を審く言葉となっている。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、256頁
2020年8月29日(土)
聖書は、主イエスさまが歴史を審くために再臨されることを、私たちに語っています。この最後の審判の時に、世界の歴史は向っています。主にある者は、この最後の審判の時が、報いの時、であることを信じています。すべての恐れから解放されて、その喜びの時を待ち望んでいます。
「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。」(マタイ25・31-34)