黙示録はさまざまな音に満ちている。天上の賛歌、戦いのざわめき、潮騒の音。それだけに、バビロン、ローマの都の最後の荒廃を告げる天使の声に、ヨハネは戦慄したのではないか。私たちは夜のしじまの声を知っている。しかし、ここではそれも聞こえないであろう。完全な静寂、滅びの静寂、すべてのものが無くなったが故の沈黙。それが神を侮った者の招く定めである。私もまた、この静けさを予感するとき戦慄を覚える。だが、ヨハネは、そこで「ハレルヤ」の合唱が天から聞こえてきたのである(第19章)。無の荒野を覆う天の声である。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、241頁
2020年8月14日(金)
しじま、静寂にもいろいろあります。ここでは滅びの静寂が語られています。
静けさの様子を「しーん」という言葉で表現することがあります。これは実際に「しーん」という音が聞こえているからだ、というようなことがテレビ番組の中で語られていました。全くの静寂ということを人間は経験できないのかもしれません。
ローマの都の最後(最期)。神さまのさばきによってもたらされる静寂は、この全くの静寂である、ということでしょう。そのようななかにも響く「ハレルヤ」コーラスを、キリスト者は聞くことができる、とヨハネは語りました。私たちはどのような中にあっても、神さまをほめたたえる歌声を聞くことができるのです。
「すると、ある力強い天使が、大きいひき臼のような石を取り上げ、それを海に投げ込んで、こう言った。『大いなる都、バビロンは、このように荒々しく投げ出され、もはや決して見られない。竪琴を弾く者の奏でる音、歌をうたう者の声、笛を吹く者やラッパを鳴らす者の楽の音は、もはや決してお前のうちには聞かれない。あらゆる技術を身に着けた者たちもだれ一人、もはや決してお前のうちには見られない。ひき臼の音もまた、もはや決してお前のうちには聞かれない。』」(黙示録18・21,22)
「その後、わたしは、大群衆の大声のようなものが、天でこう言うのを聞いた。『ハレルヤ。救いと栄光と力とは、わたしたちの神のもの。』」(黙示録19・1)