パウロは、信仰が私たちのこころのなかから生まれてくるのではなくて、私たちの外から来たと見ている。これは理論であるより、事実であった。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、239頁
2020年8月12日(水)
律法が養育係となって信仰に導かれた、この信仰によって義とされた、とパウロは語ります。この信仰は、私のこころのなかから生まれたのではなく、私の「外」からやってきた。信仰とは神さまが与えてくださった賜物である、といいます。賜物であるということが不明確になると、とたんに律法主義におちいります。
「信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視され、この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込められていました。こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。わたしたちが信仰によって義とされるためです。しかし、信仰が現れたので、もはや、わたしたちはこのような養育係の下にはいません。あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。」(ガラテヤ3・23-26)