信仰を与えられ、洗礼を受けるということは、新しい眼鏡を神からいただき、いつもその眼鏡を通して、ものをみることを学ぶことだと言われるのである。そこですぐに見ることを学ぶのは、自分が死んでいるということである。・・・罪に対して死んだ者は、「神に生きている」者なのである。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、206頁
2020年7月11日(土)
罪から見たら信仰者は死体になっている、ということ。ですから罪がどんなに大きな力で働きかけても、信仰者は、罪の影響を受けることがない、ということでしょう。どんな状態の中にあっても、神さまに向かって、神さまに対して生きている、生かされているのです。
「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。・・・このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。」(ローマ6・4-11)