み霊とみ言葉が常に私たちの教会に与えられるように

聖霊の働きのないところで神の言葉は聞かれず、神の言葉の聴かれないところで聖霊の働きはおこらない。キリストの教会で、この恵みの約束が生きている。私たちはひたすら祈る。このみ霊とみ言葉が常に私たちの教会に与えられるように、と。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、175頁

2020年6月12日(金)

ハイデルベルク信仰問答より

「第54 聖なる、公同の、キリスト教会については、何を信じますか。

 答 神のみ子が、全人類の中から、ご自分のために、選ばれた群れをつくり、これに、永遠の生命を与え、み霊とみことばとによって、まことの信仰において一つなるものとして、世の初めから終りまで、集め、守り、保って下さり、わたしが、今も、永遠までも、その活けるえだとなっている、ということであります。」

聖書の語る「救い」は個人主義的なものではありません。つねに共同体がテーマです。その共同体のひとりとして生きるということにおいて、私たちの救いが明らかになるのです。

そのような共同体のひとりとしての救いは、み霊とみ言葉によって、確かなものとされるのです。 

「これは、わたしが彼らと結ぶ契約であると/主は言われる。あなたの上にあるわたしの霊/あなたの口においたわたしの言葉は/あなたの口からも、あなたの子孫の口からも/あなたの子孫の子孫の口からも/今も、そしてとこしえに/離れることはない、と主は言われる。」(イザヤ59・21)