教会歌と言うべきものがあってもよいのではないか

学校に校歌があるように、教会歌と言うべきものがあってもよいのではないかと思っている。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、174頁

2020年6月11日(木)

神さまを信じるということは、教会と切り離すことができません。教会と切り離して神さまを信じると言ったとたんに、人間の自己中心性の罪が顔を出し、結果、神さまを信じるということが歪んできます。

教会は信じるものです。教会を信じるということなしに、神さまを信じるということはあり得ません。

さらにこの信ずるべき教会は、公同の教会でありつつ、具体的な地方教会でもあります。

罪びとの集まりといっても過言ではないコリントの教会の信徒を、パウロは「聖徒」と呼びかけました。また自分たちと共に主を仰ぎ見ている召された人びとであると言いました。教会は確かに傷だらけです。しかしそれをお支えになっているイエスさまの御姿がそこにあります。わたしのからだであると言い切ってくださるイエスさまがその中心にいてくださるのです。

「コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。」(1コリント1・2)