「キリストの強さがあなたを造った。そしてキリストの弱さがあなたを新しく造ってくださった。キリストの強さが、まだ存在していなかった者を存在する者としてくださった。そしてキリストの弱さが、既に存在する者が失われることのないようにしてくださっている。キリストは、強さをもって私たちを造ってくださる。その弱さをもって尋ね出してくださる」。旅に疲れ果て、動くこともできず、井戸の傍らにあって、水を汲むこともできず、サマリアの女の助けを待っていたキリストの弱さの恵みが語られている。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、151頁
2020年5月20日(水)
イエスさまは渇きを知っておられるお方です。それは肉体の渇きでもあり、またこころの渇き、魂の渇きでもあります。あるいは愛の渇きでもあるでしょう。そのような渇きが、私たちの渇きを見出してくださいます。ある神父さんは、祈りとは神の渇きと人間の渇きの出会うところである、と言われていました。
私たちが救われるためには、神さまの強さが必要です。しかしそれだけでは私たちは救われません。神さまの弱さが必要だったのです。神さまの強さと弱さが現れたところ、それが十字架と復活です。
「そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。」(ヨハネ4・6)