自分だけで悩んでいる、また恥じている

1976年にこの世を去った森有正先生は忘れてはならないキリスト者、現代日本を代表する思想家である。このひとの言葉で最もよく知られているのは、この言葉であろう。「決してある神学的な教条や経典やまた思想体系の中で人間は神様に会うことはできない。人間にはいかなる場合でも隠そうとするあるいは隠された一隅はあります。・・・人にも言えず親にも言えず、先生にも言えず、自分だけで悩んでいる、また恥じている、そこでしか人間は神様に会うことはできない」。この境地は誰もが思い当たる。信仰に生かされている者なら知っている。それを言い当てているので、私たちは、この森先生の言葉を忘れることができない。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、141頁

2020年5月10日(日)

「自分だけで悩んでいる」「恥じている」その所でしか神さまにお出会いすることができない、と言います。あるいはそこでこそ神さまはお出会いくださる、あるいはそこででも神さまはお出会いくださる、のです。

おおよそ、悩みと恥を経験しない時には神さまにお出会いできない、あるいは出会ったことにならない、たとえであったとしても、道端ですれ違う人とそう変わらないような出会いしか経験していないということでしょう。じっくりと戸を閉ざした部屋の中で、一対一でこの神さまにお出会いしなければ、私たちには救いはありません。あるいはそこでこそ出会ったくださるので、私たちはどのような事態の中にあっても平安に生きることができるのです。生きていてよいのです。

「わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。」(詩編62・2)

「神よ、あなたはわたしの神。わたしはあなたを捜し求め/わたしの魂はあなたを渇き求めます。あなたを待って、わたしのからだは/乾ききった大地のように衰え/水のない地のように渇き果てています。」(詩編63・2)