悲しみ悩みが支配していても、喜びをもって対抗できる

喜べと命令する。考えれば奇妙なことである。喜べといくら命じられても喜びの理由がなければ喜べない。喜びは、そのこころのうちから自然に生まれてくるものである。だが、パウロは確信をもって言う。「主において」と言えば、それだけで喜べる。ほかに喜ぶ理由がないどころか、悲しみ悩みが支配していても、喜びをもって対抗できる。・・・私たちは喜びの親方、主イエスのところに弟子入りしている。その親方をまず私たちのこころの世界に迎え入れる。絶望の悲しみをもって私たちを支配しようとする悪魔を斥ける。パウロは、そのような喜びの戦いを求めているのである。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、140頁

2020年5月9日(土)

喜びの戦い。喜びをもって戦う。悲しみや悩みに喜びをもって対抗する。主において、主にあって、主を心の王座にお迎えして。あるいは主の中にあって、主ご自身に包まれて、主のふところ奥深くに隠されて。私たちはあらゆる中にあって圧倒的な勝利者なのです。

「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」(フィリピ4・4)