主は、それを知っていてくださる

主はペルガモンの教会に言われる。時々出かけるところではなく、教会が住んでいるところ、日常生活が営まれるところがどこであるかを知っている。・・・「わたしに対する信仰」、これは「わたしに由来する信仰」とも言える。主ご自身に対する信仰は主ご自身から生まれているので揺らぐことはない。サタンが死の力で支配するところでいのちの主を信じる。・・・サタンの王座があるのではないかと思われるところに私たちも住んでいる。主は、それを知っていてくださるのである。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、137頁

2020年5月6日(水)

次回の主日礼拝で読むところですが、神さまが罪を犯したアダムに向かって「あなたはどこにいるのか」と問われました。神さまはアダムがどこにいるのか分からなくなったので、そのように問われたのではなかったのだと思います。神さまはアダムがどのようなところに、どのような状況の中にあったのか、誰よりもよくご存じだったのだと思います。

私たちが、どのような状況の中にあるか、どのようなところに住んでいるのか、どのような戦いを経験しているか、どのような罪の中にあるのか、すべてご存知なのです。そのうえで神さまは私たちに問いかけてくださるのだと思います。

問われた私たちが、その問いによって気づかなければならないことは、神さまがどのようなお方であるのか、ということでしょう。自らを滅ぼそうとされる方ではなく、生かそうとして下さる方、いのちを与えようとして下さる方、である、そのように私たちは神さまの方に向かって行かなければならないのだと思います。

「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかし、あなたはわたしの名をしっかり守って、わたしの忠実な証人アンティパスが、サタンの住むあなたがたの所で殺されたときでさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。」(黙示録2・13)