パウロは虚栄心を軽視しない。むしろ教会の一致を乱す元凶と見ている

長く東京神学大学で教え、すぐれた伝道者でもあった山谷省吾先生は、自伝『渓流』に、東京帝国大学法学部で学び、試験の成績に虚栄心を損ない、求道を始め、四箇月で受洗した、しかし、それはただ虚栄心が挫折して教会に行けば何とかなると思ったに過ぎないと書いておられる。続いてこう書く。「しかし虚栄心は今なお付きまとって離れない。私はその後、自分がどんなに深い罪人であるかということを認めるようになった。しかし、かつての立身出世の虚栄心は離れ得たけれども、その罪が変わった形で、今もなお、私に絡みついていることを告白せざるを得ない」。パウロは虚栄心を軽視しない。むしろ教会の一致を乱す元凶と見ている。私たちもそのことを知っている。キリスト・イエスに戻らない限り解き放たれない罪がここにもある。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、136頁

2020年5月5日(火)

私は自分の手帳の最初のページに教会の毎年のテーマ聖句を記しています。聖句は毎年変わっていくのですが、その下には毎年同じ聖句を二つ記しています。一つはテモテへの手紙第2の4章2節「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。・・・」。もう一つはローマ人への手紙12章9~18節の言葉です。「尊敬をもって互いに人を自分よりもまさっていると思いなさい。・・・」。

これは謙遜という徳を積み上げようというのではありません。虚栄心は、教会の一致、交わりを破壊するだけではなく、自分自身をも破壊してしまうと思ったからでした。

パウロは同じような意味の言葉をフィリピの信徒への手紙の中にも記しています。イエスさまのもとに、イエスさまの無限の愛のもとに戻らない限り解き放たれることのない罪です。うっかりすると自分に付きまとい続けているこの虚栄心という罪にからめとられてしまうので、つねにイエスさまの愛に戻らなければなりません。

「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。」(フィリピ2・2-5)