ドイツ北部ギュストロウの町に彫刻家エルンスト・バルラハの工房があった。ナチの手で非芸術的と烙印を押され、多くの作品が失われたが、元墓地礼拝堂であった展示場になお傑作が並ぶ。「再会」と題する作品がある。副題を「イエスとトマス」と言う。・・・トマスは、あの方の手に残る釘後を見なければと言ったのであるが、なるほど主イエスの手から釘は抜かれている。だが、その足には太い釘がまだ刺さったままである。主の苦難は続いているということなのか。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、115頁
2020年4月16日(木)
もう何年も前になりますが、近くでエルンスト・バルラハの展覧会がありました。少し明かりを落とした展示室に、しずかにたたずむ彫刻の数々。心が祈りに導かれていくような展覧会でした。み言葉の深い黙想から生れ出た作品は、いつも心を打ちます。
信仰と芸術が深いところで結びついていることを思います。音楽もさることながら彫刻や絵画、デザインは信仰において大切な要素です。礼拝も洗礼式や聖餐式、教会で行われる冠婚葬祭においても、「美しさ」は大切なことであると思います。それはいたずらにきらびやかであるということではなく、自分の罪深さを学び、神さまの偉大さと愛を学ぶという目的のために欠かせないことであるということです。
さて「再会」と題されたイエスさまとトマスの像。なぜ再会であるのか。再会とは再び会うということです。以前からも会っていた、会って親しい交流があった、お互いに知っていると思っていた。そのような二人がもう一度出会った、出会い直した。知っていると思っていたけれども、本当は何も知らなかった、信じていなかった。しかし今は信じている、ということでしょうか。信仰生活はこのような神さまとの「再会」に満ちているのだと思います。日々私たちはイエスさまに「再会」するのです。
「さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」(ヨハネ20・26)