私たちは、ただ自分のことだけにかかずらい、悪魔の支配の真相を、黙示録の助けを借りて見すえていないと、真実の教会の戦いはできなくなる。「悪魔は怒りに燃えている」(第12章12節)。手ごわいのである。だから小羊の勝利を待つより他ないのである。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、32頁
2020年1月27日(月)
「真実の教会の戦い」とはいったい何なのでしょう。自分のことだけにかかずらっていると見失ってしまうその戦いとはなんでしょう。教会に求める救いは、自分のことにかかずらっての苦しみからの救いなのではないでしょうか。その自分のことにかかずらっているを見失ってしまう戦いということですから、教会の救いとは自分のことにかかずらって生まれる苦しみからの救いではなく、自分のことにかかずらっている自分自身そのものからの解放、その自己中心的な生き方から神さま中心の生き方への転換こそ救いであるということでしょう。
「竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証しを守りとおしている者たちと戦おうとして出て行った。そして、竜は海辺の砂の上に立った。」(黙示録12・17-18)