ヴィリ・ブラント元西ドイツ首相が1992年に死去したとき、当時の大統領ヴァイツゼッカーさんがその国葬で、この人によってドイツと他の国々との間に和解が生まれ、東西融和が始まったと述べた。その時誰もが思い出していたのは、ポーランドを訪ねたブラント首相がユダヤ人迫害記念碑の前にひざまずいた姿であった。予定にはない行動であった。突然崩れるようにひざまずいた。ある新聞が、これを批評して、われわれがひざまずくべきはただ神に対してのみではないかと書いた。ブラントは答えた。言葉で言い表すことができない思いと言うのがある。私は思わず膝を折っただけだ、と。国葬の日、テレビで、あるドイツ人コメンテーターが語った。このひとは、自分の弱さと罪のために膝を折ることができる人であった、と。神の前に膝を折ったに違いない。このように悔い改めることを知る政治家を何人も持ったことは、ドイツにとってしあわせなことであった。そして私たちは?
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、26頁
2020年1月21日(火)
言い訳ばかりが語られるところには新しい出発はない、ということでしょう。しっかりと悔い改めてこそ新しい出発が生れるということでしょう。
「しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を/神よ、あなたは侮られません。」(詩篇51・19)