ぼやけたイメージが凝縮し、固まり、ある意味では小さくなって

異教の物語と聖書の物語の間にあるのは、虚構と事実の違いではありません。現実に起った出来事と、その出来事に関するおぼろげな夢、もしくは予感との間の相違です。私たちは、何かが徐々に焦点に入ってくるのを見守っているような感じを受けます。神秘と秘義の雲に包まれている大きな、ぼやけたイメージが凝縮し、固まり、ある意味では小さくなって、一世紀のパレスチナにおける歴史的出来事になったのでした。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、498-499頁

2019年12月23日(月)

イエスさまがご降誕されたとき、羊飼いたちに続いて東の方から博士たちが礼拝にやって来たと聖書は語ります。博士と訳されていることばは、原文では「マゴス」これは、ペルシャやバビロニアの星占、夢占などをやっていた賢者(学者)兼祭司、占星家、または魔術者、奇術者とも訳される言葉だそうです。偶像礼拝を厳しく否定したユダヤの信仰からすれば全くの異教、異端です。そういう人たちが、星を頼りに、つまり自分たちの思想、宗教、信条を頼りに救い主のところにやって来た、と聖書は語るのです。そうすると、異教の物語は、虚構として退けたり否定したりするものではなく、それらはおぼろげな夢、予感、ぼやけたイメージであるということでしょう。それが徐々に焦点が合って来るように、また凝縮し、固まり、小さくなって、イエスさまのご降誕という歴史的出来事にたどり着くのです。

「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」(ヨハネ1・9)