かつては万人が母親の一部だったのですし、(さらにそれ以前には)父親の一部でもあったのです。祖父母の一部だったときもあったわけです。時間のうちに徐々にひろがっていく人類の姿を、神がごらんになっているのと同じように私たちが見ることができるとしたら、それはばらばらのものが点在している図と見えず、生い育ちつつある単一のもの――枝や根の入り組んだ樹木のようなものと見えるでしょう。すなわち、それぞれの個人が他と結びついている様子がさだかに見て取れるはずです。
そればかりではありません。それぞれの人間は、じつはお互い同士と同様、神からも分離した存在ではないのです。世界中の男性、すべての女性、すべての子どもがいまのいま生きているという実感をもち、呼吸しているのは、いうならば、神が彼を支えておられるからなのです。
したがって、キリストが人となりたもうということは特定の錫の兵隊になることができるというようなこととは違います。それはこれまでも、人類全体に影響を与えてきた、そしていまも影響を与えつつある何ものかが、ある時点から新しい方法で人類に影響をおよぼしはじめたと言ったらいいでしょうか。その影響はその一時点から全人類にひろがっていくのです。すなわち、それはキリスト以後の時代の人間たちに対してだけでなく、彼以前の人間にも違いをもたらします。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、475-476頁
2019年12月5日(木)
イエスさまはすべての人のためにこの世に来てくださり、十字架と復活によって贖いの道を開いて下さいました。このすべての人とは、2千年前にイエスさまが来てくださったその時点以降の人びとと言うのではなく、それ以前の人びとのことでもあります。つまりアダムから始まる人類すべての人のために、イエスさまはこの地に来てくださったのです。それは人類が神さまによって造られた一本の樹木のようなものだからです。
「ただ、『天使たちよりも、わずかの間、低い者とされた』イエスが、死の苦しみのゆえに、『栄光と栄誉の冠を授けられた』のを見ています。神の恵みによって、すべての人のために死んでくださったのです。」(ヘブライ2・9)