私は近ごろ、先ざき振りかかるかもしれない苦難に対してだけでなく、祝福に対しても自分を神にまったく委ねる姿勢を取ることが必要ではないかと感ずるようになっています。
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神が私たちに栄光の新しい局面を示して下さっているのに、私たちはその古い局面に恋々として、新しい局面を見ることを拒んでいることがあります。もちろん、そんな私たちには、栄光の古い局面をおのがものとすることもできないでしょう。『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、453-454頁
2019年11月19日(火)
苦しみを、また苦しみの時を神さまの御手に委ねましょう。そして喜び、祝福、祝福の時をも神さまに御手に委ねましょう。私たちは苦難と祝福を自分で判断していますが、その判断自体が正しいものであるのか、わからないのです。苦難だ、と思ってももしかすると祝福かもしれません。逆に祝福だと思っても、苦難であるのかもしれません。
「妊婦の胎内で霊や骨組がどの様になるのかも分からないのに、すべてのことを成し遂げられる神の業が分かるわけはない。」(コヘレト11・5)
「律法を定め、裁きを行う方は、おひとりだけです。この方が、救うことも滅ぼすこともおできになるのです。隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか。よく聞きなさい。『今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう』と言う人たち、あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。 むしろ、あなたがたは、『主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう』と言うべきです。」(ヤコブ4・12-15)