福音書を読むうちにクリスチャンはみな(たぶんクリスチャンでなくても)、一人の人格と出会ったという感じを受けます。
・・・イエスのうちには農民的な素朴な鋭さ、犯しがたい厳しさ、そして何ともこまやかなやさしさが渾然と表われていました。イエスの人格の香気はきわめて特徴的なものでした。ですから、私たちがこの人こそ、あらゆる意味で受肉なさった神だと考えているのでなかったら呆れるほど傲慢に響くであろう言葉を発した彼が、「私は柔和でへりくだっている」と言うとき、私たちは―そしてクリスチャン以外の多くの人々も―この自己評価をすんなり受けいれるのです。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、423-425頁
2019年10月30日(水)
神さまは私よりも偉大な存在なので、私がこの小さな頭で説明しつくすことはできません。ですから神さまの愛にふれると、その神秘を説明することから解放されて、そのまま受けいれるのです。朝日の力強さ、大空のすがすがしさ、夕日の美しさ、夜空の神秘がそうであるように。
「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。――」(第1ヨハネ1・1)