第一の種類の美徳や悪徳、愛や憎しみは、それ自身よいものであったり、わるいものであったりするだけでなく、それをもっている者をよくもわるくも変えます。
第二の種類の善悪はそうしたことをしません。人の容貌や姿形の美醜、ユーモアのセンスのあるなし、強さ、弱さ、快楽、痛みなどは、この第二の種類に属します。
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文学のうちには霊的善悪に加えてこの第二の種類の善悪―本来文化的、あるいは文学的な―があるのですが、それらが第一の種類の善悪としてまかりとおることを許してはなりません『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、345-346頁
2019年9月2日(月)
かつてハリーポッターやディズニー、ポケモンを悪魔の所業として禁止する教会があったそうです。いまもあるのでしょうか。映画を観ることを禁じた教会もあると聞いたことがあります。賛美はオルガンでなければならない、とする教会もあります。楽器を使うことを否定的に考える教会、エレキギターやドラムにアレルギーのある教会もあるでしょうか。第二の種類の善悪を第一の種類の善悪としてまかり通っていることなのかもしれません。イエスさまを信じること以外には、あまり大事なことではないのではないかと思います。
「あなたがたは、キリストと共に死んで、世を支配する諸霊とは何の関係もないのなら、なぜ、まだ世に属しているかのように生き、『手をつけるな。味わうな。触れるな』などという戒律に縛られているのですか。これらはみな、使えば無くなってしまうもの、人の規則や教えによるものです。これらは、独り善がりの礼拝、偽りの謙遜、体の苦行を伴っていて、知恵のあることのように見えますが、実は何の価値もなく、肉の欲望を満足させるだけなのです。」(コロサイ2・20-23)