それぞれの程度に応じて

私も、受肉を信ずるということは、主イエスの歴史的な人格のうちに人間の優秀性が(もちろん、詩人としての能力をも含めて)あらゆる形で見出されると心から信ずることだと思っています。けれどもあらゆる能力が限りなく発展せしめられたなら、一人の人間の一生という限界を越えてしまうことになったでしょう。ですから霊的資質以外は、それぞれの程度に応じて潜在的な状態にとどまったのです。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、333-334頁

2019年8月25日(日)

人生を生きるということは自分に生きるということだと思います。しかし自分に生きるということは簡単なようで難しいことです。
生まれつきもっているもの(与えられているもの)を発揮することでもあるでしょう。あるいは個性は成長していく先にあるといことですから、自分に生きるということはさまざまな経験を通して自分になっていくということでもあります。
いずれにせよ人と比較をするのではなく、自分として神さまに従っていくところにかたちづくられることなのでしょう。

「ペトロは彼を見て、『主よ、この人はどうなるのでしょうか』と言った。イエスは言われた。『わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。』」(ヨハネ21・21-22)