実際のところ、およそ人間の活動において、手段が、それが奉仕するはずの目的そのものを侵食するという致命的な傾向があるのです。・・・おそらく集団主義は私たちの生活にとって必要であり、今後はそれはますますひろがっていくことでしょう。
集団主義が徹底すると、それは人間を死にいたらしめるという特性を発揮します。・・・
クリスチャンは個人主義にではなく、キリストという体の手とも足ともなるように招かれているのです。したがって現世の集団とこの神秘的な体との相違点を考えてみることが、キリスト教がどのような意味で個人主義に堕することなく、しかも集団主義の弊を正しうるかを理解する第一歩となるのです。『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、322-323頁
2019年8月17日(土)
個人主義でもなく集団主義でもない、キリストの体にいきるという教会生活において私たちは健やかな信仰生活に生きることができます。
「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」(第1コリント12・26、27)