世俗の共同体そのものが私たちの自然的利益に役立つために存在しているのであって、超自然的な利益のためではないのですから、それは家族の結びつきを固め、友情を成立させ、孤独の意味を認めさせ、総じてそれらを保護するという以上に高次の目的をもっていません。
「家庭の幸福こそ、人間のあらゆる努力の目標である」とジョンソンは言いました。自然的価値だけを考えるかぎり、食事をしながら談笑している家族や、ビールを飲みながら親しく語りあっている二人の友人、つきない興味を感じている本を一人で読みふけっている人の姿ほど、心楽しい光景はありません。経済、政治、法律、軍隊、制度などの一切はそうしたおりを持続させ、頻繁にさせるのに役立てばいいので、それ以上のものとしては砂地を耕し、大海に種子をまくたぐいの、霊にとって意味もない絵空ごと、それも腹立たしい余計ごとでしかありません。もちろん、集団的行動は必要です。しかし、以上のようなことこそが、その目的なのです。『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、320-322頁
2019年8月16日(金)
西村訳では以下の通りです。
「現世の共同体というものは、それが自然の用に資するためにあるのであって超自然の用には立たぬものである以上、家族、交友、そして孤独を容易ならしめ、それらを守るという以上に高い目的を持たないものです。家庭にあってのしあわせこそ人間のすべての努力の目的だと、ジョンソンは言っています。自然的価値だけを考えようとするかぎりでは、およそ日の照るところ、食事をしながら共に笑う家庭、一杯のビールを飲みながら語り合う二人の友、ひとりたのしく書を読む人、これらのよさの半ばにも及ぶものはないのであって、経済、政治、法律、軍隊、制度のことごとくは、こういした情景を持続させ拡げるものとならぬかぎりは、砂を耕し海を鋤くにほかならぬ、絵空ごと、霊にとってのわずらいにすぎぬものだと言わざるをえません。集団活動はもちろん必要なものですが、それが必要な目的はこれなのです。」(『栄光の重み』、「メンバーシップ」、159-160頁)
人間はすぐに本末転倒してしまうということでしょう。家庭をあとまわしにしていくら社会でなお上げても全く意味のないことなのです。
「あなたがたは、キリストと共に死んで、世を支配する諸霊とは何の関係もないのなら、なぜ、まだ世に属しているかのように生き、『手をつけるな。味わうな。触れるな』などという戒律に縛られているのですか。これらはみな、使えば無くなってしまうもの、人の規則や教えによるものです。これらは、独り善がりの礼拝、偽りの謙遜、体の苦行を伴っていて、知恵のあることのように見えますが、実は何の価値もなく、肉の欲望を満足させるだけなのです。」(コロサイ2・20-23)