何らかの意味で(あるいはあらゆる意味で)人に劣っていると内心卑下している人間は、民主的という言葉を持ち出すことによって自分よりすぐれている人間の足を引っぱって自分の水準に引き下ろすことに以前以上に憂き身をやつし、しかもそれに成功しています。そればかりではありません。そうした影響力がひろがった結果、全人的に成長することを望む者、それができるはずの者までが非民主的な謗りを受けてはと尻ごみしはじめているのです。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、293-294頁
2019年7月27日(土)
民主的ということが、政治的なシステムにおいて用いられるだけではなく、それ以外のところにおいても用いられるようになると、どこででも「みんな一緒」ということが大切にされるようになります。それはそれでいいのかもしれませんが、結果、出る杭は打たれるということで、良い意見をもっていても、みんなと違うということで、それを引っ込めることがおこる、ということでしょう。村社会はある意味で民主的なのかもしれません。しかしそれがどこに向かっていくかは、誰もわかりません。結果、そこにいる人の幸せが実現されることにならない可能性もあるということでしょう。
「だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。」(2テモテ3・14)