愛そのものであるキリストがすでに魂のうちに入って下さっている人間

<肉と血>、すなわち純然たる自然は、その王国を継ぐことができないのです。人が天国へと上ることができるのは、ひとたび死んで天国に上って行かれたキリストが<彼のうちに形づくられている>からです。人のもろもろの愛についても同じことが言えるのではないでしょうか?
愛そのものであるキリストがすでに魂のうちに入って下さっている人間だけが、キリストのもとに上って行くことができるのです。そのような人々がキリストとともに復活できるのは、彼らがある程度、またある意味で、キリストの死をともにするとき、彼らのうちの自然的なものが時とともに、いえ、場合によっては苦悩を経てまったく突然に変えられるとき―なのです。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、273-274頁

2019年7月11日(木)

主は死と復活によって天国への道を開いて下さいました。主にある者はみな天国に行くことができます。主にあるために、肉と血は神の国を相続することができないことをわきまえ知っておかなければなりません。朽ちるものを頼りとしている生き方から朽ちないものを頼りとする生き方に変えられていかなければなりません。

「兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。」(第1コリント15・50)