愛の思いを助けるものとして、それ以上のもの

自然の愛は、いかなるものにせよ、自足することができません。愛の思いを助けるものとして、それ以上のもの―はじめのうちは漠然と<慎みと良識>と呼ばれ、後には善良さとして認識され、そしてついにはある特別な関係におけるクリスチャンの生活として表われるもの―が加わらなければ、そうした感情を甘美なままに保つことはできないでしょう。
こんな言い方をしたからといって、自然の愛をけなすつもりはありません。ただ、そうした愛の真の栄光がどういうところにあるかを指摘しておきたいと思いうのです。・・・庭園はよいものですが、みずから柵を回らすことはそれが本来の備えている資質ではありません。庭園があくまでも庭園であり、荒地と異なっているのは、誰かが草をむしり、枝を選定し、手を加えるからです。
・・・私たち人間の<慎みと良識>は、愛の暖かさ、こまやかさに比べるとき、くすんだ灰色としており、死のように冷たいのです。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、264-265頁

2019年7月5日(金)

愛情、恋愛、友情など自然の愛は、聖愛(チャリティ)に支えられることによって豊かな愛になる、ということでしょう。聖愛がなければ愛情も恋愛も友情も、それらの愛には限界があるということでしょう。

神さまの愛に出会い、神さまの愛に学ぶことによって、自然な愛、人間の愛は完成されていくと言ってもよいのかもしれません。

「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。」(第1ヨハネ4・7)