アタナシウス信条によって私たちは、受肉は<神性が人間の肉体に転化した>ことによってではなく、<人間性が神のうちに取りこまれた>ことによって起こった―と教えられています。受肉において人間性は神的生命の器となったのです。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、175-6頁
2019年5月3日(金)
今日は聖ピリポ、聖ヤコブの日だそうです。聖書にピリポという名前もヤコブという名前もいくつも出てきますので、どのピリポ、ヤコブなのかと迷いますが、使徒のピリポとヤコブとのことです。最初に弟子となったピリポ、そしてエルサレム司教となる小ヤコブのこと。
このピリポはエチオピアの宦官に伝道する人となります。
受肉において人間性は神的生命の器となったということですが、これを旧約聖書で指示されたお方がイエスさまであるということ、旧約聖書が、人間を超えるものの器とされた、とルイスはかたりました。
私たちは旧約聖書を読みながらそこにイエスさまを発見するのです。あるいはイエスさまを発見しなければ旧約聖書を本当に読んだことにならないということでしょう。
「そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。」(使徒8・35)