もしも私たちが超自然的なものをまったく受けつけない世界観をもっているとすれば、たといどのようにふしぎな経験をしようとも、私たちはそれを奇跡と見なしはしないでしょう。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、140-141頁
2019年4月8日(月)
聖書を読むときの一つのつまづきとして奇跡があります。奇跡によって信仰が生まれるように思うことがありますが、科学の時代を迎えて奇跡が信仰のつまづきとなっているとすれば、聖書の語る信仰は、奇跡によって生まれるのではなく、むしろ信仰によって超自然的なことが奇跡となるということかもしれません。
聖書は奇跡のことを「しるし」という言い方をします。奇跡がしるしであるということは、その奇跡が指し示しているものがある、ということでしょう。つまり奇跡は神さまを指し示しているしるしである、ということなのです。
ですから超自然的なことを体験しても、それによって神さまに向かうということがなければ、奇跡やしるしとはなりません。逆にどのような体験であっても、そこに神さまを発見することができるならば、それはすべて奇跡やしるしなのではないでしょうか。
「神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた。」(使徒19・11)