主の受難の一瞬一瞬は、人類の苦しみに共通する、ある性質を、そのつど大文字で書き記したものといえないでしょうか?
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伸ばした手のなかで救いの綱がぷっつりと切れ、入ろうとしたとたんに、その鼻の先で扉がぴしゃりと閉まる。彼の状況は、力尽きはてた狐のそれのようでした。全地が囲いこまれていたのです。『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、137頁f
2019年4月6日(土)
神さまに敵対する人間の罪、自らを神にしようとする偶像礼拝の罪、その罪によってイエスさまは十字架につけられました。イエスさまは十字架への道を進んでくださったのです。この十字架によって、罪びとであった私たちはいやされました。
「彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」(イザヤ53・5)